新緑の季節

拝啓
やっとしとしと雨が降り出し辺り一面濡れそぶり、緑もほっと一息の梅雨空ですが、今日も僕はラガーをワンパイント片手に庭の薔薇を手入れする日々です。



先週、言の葉の庭、という映画を三回も見ました。
魂同士の関係性を基準にすると大変よくできた映画で、どうしようもない末期的状況でツインな魂はそっと救いあいそっと去っていく、という法則を美しい丁寧な手法で描いた作品です。
いつも新海監督は(あまり世に知られていないような)深い真理をさらっと書いちゃう方でついつい関心してしまうのですが、どんな名作でも結局は日常に埋もれていってしまう、というのを翌々理解した上で制作されているので、何回見ても決して飽きない創りに激しく同意してしまうこと然りきり。僕ももっとさらっと撮んなきゃな造んなきゃな、と。


で、作品の構造に真理を練り込む手法をそっと思案中です。絶対誰にもばれない方法で。


まったく無関係な企画でも誰にもばれずに真理を練り込んでしまえばこちらの勝利。写真の最なブラックボックスは最上の一線を越えたプロだけの特権です。
もっといえばそれが最大のその写真の魅力たりえる部分です。
これまではそういうトコで勝負していた時代も随分長く続いて来てたのですが、これからの時代、そこはサラッと練り込まないと、ね。
(それでこそ長年ずーーーと格闘してきた介があるというものです)




立ち方が随分本来のカタチ以上に大きく強くなり戻って来ています。
真理に触れると、現実は大きく大きく揺れに揺れ動くようにも見受けますが、それもこれも進化の過程の話。そのフレームは決して絶対歪んだりはしないものだと実感できているのは本当に幸いですね。次元の違いなど、もはやどうでもいいレベルで。


行き着く先は明るいだけです。迷わず、そちらへ。



敬具