旅と音楽

上からの続きになるかもしれないが、このタワーSP を他人に聴かせることは今後も無いだろう。
同時に、いまも密やかに続けているロケット弾丸撮影ツアーに他人と行く事も無いだろう。
それは個人の内なる絶対領域で、何かを招き入れるようになっていない。人は一人で生まれて一人で死んで行く、という過程の追体験を旅と音楽に求めているのかもしれない


いつしか、震災後に突発的に北東北へ向かった。
思いついて飛び乗ったので、仙台に着いたのは午後の早めの時間、そこから北へ北へレンタカーを飛ばし、女川町で廃墟撤去後の更地をすっとばし海岸線に沿って気仙沼を目指す頃には、目も眩むような美しい満月と山の稜線にドーンパープルがやってきた。朧月夜。たぶん千年やそこら、なーーーにも変わらないであろうその海岸線上の光景。
でも、うっとりもそこそこに、たった30分で真っ暗な闇がやってきた。コンビニどころか、街路灯すらない北東北の海岸線上の橋上でポツンと止まったレンタカーをすっぽりと包み込んだ、本当の真っ暗な闇。
聞こえるのは道路から高さ50mは下にあろう、岩だらけの海岸線に打ち寄せる大波のくだけちる音。
山と山を結ぶ橋の上なので視線は空中を彷徨う。空だけパープルは残っているので星はまだ見えないのだが、手元は山陰の暗闇で手相も見えない。

石巻や女川町の瓦礫もフラッシュバックし、本気で死を意識したのか妙に体温が下がった気がして体幹が硬直する。


いくばくかの時がたち、気付けば車頭を南へ向けアクセルを吹かしている自分がいた。三日間の予定で北へ向かう予定はわずか半日にて終了とあいなった瞬間である。


残された写真。朧月夜、は溜め息がでるほど美しいが、それは闇の上でしか成立しようのない瞬間だから、だ。
みせてはいけない写真があるとするならば、それはまさしくこれである、と思う


旅と音楽は、いつも本気のインスピレーションを僕に与えてくれるが、
僕の写真はいつも本気で誰かにインスピレーションを与えられているだろうか。


暗い部屋でダウンライトに照らされたタワーSPで聞きながら、そんなことを確認している。
みせてはいけないギリギリの美しさ、をギリギリ手前のラインで見せていく。
今後の大きな課題であるように思う